昼食抜き。
昼食を抜くようになって、約1か月が過ぎた。内臓や体質の改善には3か月程度かかるというが、現在の実感を備忘の為に書いておく。
そもそも昼食を抜くようになったのは、腹まわりがぽちゃぽちゃ気味であったことが原因だ。18世紀のコルセットは身体への美意識の押し付けとして、纏足に近い形で”問題なもの”と認識しているのだが、自身の身体バランスに対してなぜか幼少の頃より腹まわりが太いことへの嫌悪感があった。
腹が出ることはバランスが悪い。特に人にその美意識を押し付けたわけではないのだが、自身の腹が出ることは我慢がならない。この意識は一体なんなのだろうか。
だから、あまりビールを飲む気がしないのだ。幼少時、初孫であった私は母方の祖父宅へ預けられた。祖父はビール好きで、家では当然肌着でごろり、としていた。その時の印象は、”この腹はなんだ”であった。ぱんぱん、だった。
よく覚えていないが、多分祖母に”これはビール腹で、ビールばっかり飲んでるとこうなる。”と教わった気がするのだ。
多分、この刷り込みだ。多分4歳から5歳頃の印象だと思うが、このインパクトが大きかったのだ。
それ以来、どうも自身の腹の具合が、普通の人以上に気になる子供になってしまったような気がする。
まあ、刷り込みなので仕方がないだろう。幼少時の印象とは一生続くものなのかもしれない。
そんなこんなで自身の腹がイマイチだな、と思ったのだが、ことさら多く食べている印象はない。というか、いつもと同じなのだ。いつもと同じでぷくぷくであるのであれば、何かを変化させなければならない。
1日に歩く量は少し減っている。数年前は平均で1万歩は歩いていたが、今は8000歩程度だ。それも結構意識して歩いて、だ。スポーツセンターへは可能であれば週に2回行っている。昼食後は20分のエアロバイクを行っている。昼食時には糖類ほぼ抜きである。
うーん、これ以上は減らす場所はあまりないな、と思っていた。しかしこのままだとずるずる太ってゆくのでは、と感じたのだ。
体脂肪1kg落とすのに、7000kcalカットする必要があるという。1食が800kcal程度とすると、一週間で1kgは落ちないが、それ近く落ちてゆく印象だ。
実際はどうか。効果はある感じだ。67kg程度であった体重が64kg位になった。3キロほど落ちた計算だ。3週間たったので、3キロ落ちた、ということか。
これ以上は、落ちないかもしれない、というかこれ以上だと筋肉が落ちる気がする。今後は意識してタンパク質を取ってゆき、同体重で体脂肪率を下げる、という方向であろう。
ただ、なんとなく身体の調子は落ち着いてきたようだ。暑さが苦手なので、これからだるい感じになると思うのだが、現在は気候もよく、まあまあの調子だ。
以上、取り急ぎの備忘録である。飢餓状態でいることは、獲得への情熱を呼び起こし、ポジティブになる、ということも聞いた気がする。満腹だと眠くなるので、とりあえずはこのまま様子を見ていこうと思っている。
(なにごとも自身で選ぶことが重要だと思います。他人のものではなく、自身の美意識から自身の判断を選ぶこと、ですね)
読んでよかった。
試しに書き出してみる。
これが重要だ。
書く、は描く、でもいい。
とりあえず、書き出してみる。そう、この日記のように。
日記を書いていると、なにも書くことが浮かばないなあ、ということはよくある。最近は毎日書くので、日中もなんとなくなにか書くことはないかなあ、などと微妙にアンテナを立てている感じだ。
まあ、それほど頻繁になにかがアンテナにひっかかるわけではない。
ので、この欄ではイキオイ体重や体脂肪率や天気のことでスタートすることになる。
だが、日記なのだが、金土日はあまりネットを見ない、ということもあり(特に土日)、少しWEEKDAYに書き溜める必要がある。書き溜めるとなると、一日に2日分、などということもあるので、そうすると必殺体重、体脂肪率、天気のネタが使えない。まあ、それ以外でなにか書いて、投稿日のその日の状況を書き足す、ということもあるのだが。
そんなこんなで、最近は図書館で本を借りることが増えた。予約6冊、借用可能冊数も6冊だ(名古屋市図書館の場合)。
予約は3冊位は、予約が無いか、少ないものを入れている。すると3-4日で図書館に届いていることが多い。保管期間が短くなり、借りている本が読み切れず保管期間終了で元居た図書館に戻ってゆく本もある。
残りの3冊は、新聞の読書欄などで気になった本を入れる。これは新刊が多いので、だいたい順位が20番や30番、ということもある。まあ、気長に待つ場合が多いが、読みたい本が多くなると予約から落とすこともある。
図書館のサイトで”読みたい本”ということで情報を別に残せるので、そこに入れておく。正直これから読むかどうかは微妙だ。だが、そこに入れておけば、精神的な安定にはなる。
いつか、読むことがあるかもしれないし。
自身の中で、ブーム、と呼ぶべき事象が起こる。大体気になる作家が出来ると、その作家の過去作まで遡って読む。また、新刊が予約満杯であれば、その作家の過去作を借りてみることもある。過去作であれば、予約はほぼないからだ。
今は久しぶりに村上春樹ブーム。並行して森博嗣エッセイブーム。生方丁ブームは数年前にあったが、新刊が出たようなので予約している。これは”人気作”で予約者30人以上いたので、当面読めないと思う。
小説を買っていた時期がある。シリーズものでは、剣客商売や、パーカーシリーズをもっていた。だが、読んでいて”これは再読せねば”としみじみ感じる名作も、我が部屋の本のカオスに紛れてしまうと再発見することが困難だ。2度、手にとることは、ほぼない、という残念な状況だ。
だがブックオフに持ち込めば多分1冊10円である。まあそれでもいいのだが、あの自身の感動が10円か、ということで、すこしく残念な気持ちになる。もれなくなる。
そのなさけない気持ちを思うと、あまりブックオフにも売りたくない。
ということで、なるべく小説は、図書館で借りるのがよいだろう、と思っている。いやこれは再読せねば、と思うことも多い、例えば村上作品。なんとも深い読後感。私には合っている。皆さんにも合っているだろうが。だが村上本なら、どこの図書館にも常備されている。予約なしで、借りることが出来る場合も少なくない。
昔金持ちが、デパートは自身の倉庫だと思っている、といっていた。これは発想の転換だと目から鱗が落ちたものだ。金持ちにとっては、すべての代金がはした金かもしれないが、もちろん私はそうではない。そうではないが、例えば文房具なら。まあ無理すれば大体は買えるではないか。
考え方を知り、自らにも取り入れること。このことで大きく生き方が変わることがある。
図書館も、その方式でいけば、あそこは自身の書庫と思えばいいではないか。自分の、本と勝手に思うのだ。図書館の皆さんは私設図書館員だ、と。
まあ、あつかましいのだが、思うのは勝手である。
そういうことで、遠慮なく借りている。本当は10冊位かりたいのだが。
そうして本をぱらぱらめくる。読み切れずともよい。すこし開いた箇所に、
”ああ、この瞬間にこの言葉に出会えてよかった。試しに本を借り手いなければ、この出会いはなかったのだ”と嬉しいというよりは、ひやひやした気持ちになることがある。
ああ、やばかった。知らない自分と、知ったあとの自分は、全然違うぞ、と。
(図書館の皆様、いつもありがとうございます)
好きという気持ち。
昨日は久ぶりに銅版画の仲間と会うことができた。
これまでいわゆる正規の芸術系教育を殆ど受けていない。中学校では美術の授業は確か中学2年で終了し、それ以降は高校3年で卒業するまで存在しなかった。
なにか部活に入れ、と言われて、思いつくのは文化部のみ。文化部が学校にはほぼ存在していなかった。部活に入れ、とは運動部のことか。敢えて入りたいと思うのはレスリング部であるが、もちろんそんな部は存在しなかった。
仕方なく、美術部(所属0、指導教員はいらっしゃったような。。)に入ったことにしたが、当然なんの活動もなかった。なにしろ部員0なのだから。
それでもイーゼルを買い、木製のポーズ人形を買った覚えがある。一度だけ、木炭デッサンを行った記憶もある(一度だけ!!)。
美術の時間がなかったのは、本当に残念だった。体育は、別に無くてもいいのだが。
そんな喪失感を長らく抱えてきたのだが、工房に所属して、いわゆる美術界の頂点である東京芸大や、多摩美、武蔵野美大といった大学の卒業生の皆さんとも知り合えた。
はっきりとはわからないながら、皆さん自分の境遇や状況に応じて制作活動をなさっている。卒業後もさまざまな関係を持ってやっているのを感じる。
なんとなく、そういう空気をそばで感じることが出来る、というのは、私にとって嬉しいことであった。
今もなくはない。だがカルチャーセンターというところ、基本的には経験があまりない、初心者が門をたたく、というケースが多いようだ、私のように。先生はプロ中のプロなので、もちろんそうしたお話しは聞けるのではあるが、受講生同士は、同じ様な立場である。
どちらが偉い、ということではない。だがそういう専門の人たちの会話を聞いているだけで、なんだか自分もその世界に近づいた気がするのだ。
村上春樹本の挿絵でも有名な、イラストレーターの安西水丸さんが、娘のカオリさんに常々語っていたことばだという。
こうも言っていたという。
強烈な、自負である。そしてまた、私にも勇気をくれる言葉でもある。
そう、私は学生時代に正式な美術教育を受けることはなかった。だが職業として美術を生かすことができなかったおかげで、いまこうして素人として絵に接したい、という気もちを持ち続けていることができている。
そして、安西さんのように”自分より絵の好きなひとはいない”と言い切るほどの自信はないにしろ、”普通の人と比べて、相当絵が好きだ”位の自負は、どうやら持っているようだ。
最近は、すこしだけこう思いだしてもいる。
小さい時には、”人よりもうまく描きたい””人に評価されたい”という思いがあった。今も勿論ある。
だが、好きな題材で、好きなリズムで、好きな気持ちを前面に出して描いたとき、それは人ではなく、自分に捧げる絵になってくる。
それを見ているときの”自己満足”、人がうまいとか下手とか、いうことがない世界。
これが実は、すごく心地いい、ということを。
そして逆説的ながら、そうして”楽しんで”描いた絵を見てくれた人からは、”面白いね”という感想をいただくことさえあるのだ。
先週の版画展、関係者や仲間から絵を買ってもらった。これは本当に嬉しいことだ。
だが、御覧頂いたお客様から、2点ほど自作をご購入いただいたのだ。
これはまた格別の喜びだ。面白いな、と、言う気もちを、持っていただいたのだから。
そのことだけでも、絵を描いていてよかったな、としみじみ思っている、ところである。
(本当にありがたいことでございます)
村上春樹。
今日の最高気温予想は20度、最低8度。4月になるとコートはあまり着ないような気がしていたが、これは新入社員らしき人々などを多く見ることがあり、考えてみればなんとなく新しく会社に行くときにはコートは着ていかない気がするので、それに勝手に反応していたのかもしれない。
服装は最近だいぶ自由になった。だがルールが分らない新人であれば、最大公約数を無意識に探そうとするだろうし、それに合わせていないと不安になる。この2日ほどまあまあ着ていても、首筋や手が肌寒い感じだったので、今朝は念のためストール(砂漠で遊牧民の人たちが巻いているような薄目のやつ)と指ぬきの黒いスリップ止めの模様のついた軍手系の手袋を念のために持ってきた。役に立った。
村上春樹の群像文学新人賞受賞作、「風の歌を聴け」を読んでいる。前に読んだのはいつだろうか。冒頭部分、すこし覚えている箇所があるような気がしたが、ストーリーが進んでいくとそのあたりは全く記憶がない。今回は図書館でハードカバーを借りたのだが、前はなんとなく文庫であったような気がする。奥付を見ると、初版発行は1979年、この本は1990年印刷の32版、なんと個人からの寄贈本のようで、図書館の入庫日が本の上(表現がむつかしいが、表紙裏表紙ではなく、本の屋根にあたる部分、なんというのだろうか)にスタンプで押されている。15.3.19と読める。2015年ではなくたぶん平成15年なのだろう。平成の年を聞いて、西暦に変換することが出来ない。確か1989年が平成元年だったような?違うかもしれないが、だいたそのあたりとすれば、1989+15=2004年か5年あたりに図書館にやってきたことになるだろうか。物語は1970年の夏である。
村上春樹のインタビュー集を図書館で借りたのは、ジャック・ドュミの映画を見たことがきっかけだ。ドュミ(ついデュミと書きそうになる)の映画を鋭く分析したサイトにたどり着いたが、そのサイト管理者が村上のインタビューを推していたのだ。
良い分析をする人が好きな本は気に入るかもしれない、と思って借りたインタビュー集は、思った通りとても面白かった。村上氏が29歳の時、早稲田の文学部で学生時代に結婚され、その後会社で働くことがイメージできず確か新宿(違ったかも)のジャズ・バーを経営され、朝から晩まで働きながら夜中にノートに書きつけたものがこのデビュー作だ。
そんな経緯を知ることになって読む小説は、どんな感じがするのだろう。本来小説とは、なんの事前情報もなくただその文章に正面から向き合って読むべきもの、と言う気がする。だが、べつにもう、いいではないか。すきなように、読めば。
アメリカをはじめ海外でほとんどの作品が翻訳されており(それらの翻訳は作者の村上さん自身がチェックされる、というのは、考えてみれば他ではほとんどないことだろう。翻訳を小説の合間に楽しんで行われている、という村上さんだけの、稀有でほぼ唯一のケースではあるまいか。もちろん英語が堪能な作家はあまたあるだろう。だがここまで世界でメジャーになっていることには、村上さん自身の戦略があった、という点もまた、大変に印象的であった)、唯一このデビュー作のみ翻訳を許していない、という点も再読を促すものであった。そうか、外国の人はこの物語が読めないのか。日本人と日本語話者(読者)のみの特典なのだな。
2021年である。仮に村上さんが作品発行の1年前、1978年にこのものがたりを書かれていれば、43年前のことだ。43年は長いのだが、久しぶりに読んだ1970年の物語に、旧さを感じないはどうしてだろうか。今日、作者名も知らずはじめて読んだとしても、すっと物語に引き込まれているだろう。さすがと言おうか、なんといおうか。まだ、途中なのだが、これから読み進めるのが、楽しみである。現状はまだ、指が4本の女性が出てきたところだが。
(最近小説にずいぶんご無沙汰していました。エッセイやノンフィクションが多かったかも。久しぶりに小説を読む、というのはすこし新鮮な気持ちですね)
神とは文化か?
日本の八百万の神、というのはつまりは、群島文化のことだろうか。農耕文化の神、ともいえる気がする。
八百万といえ、ある神はある神と同格であろう。勿論その性格や出自は違うであろうが、違っていなければそもそも「別の神」とは言えなくなる。
一神教、とは大陸文化の具現のことであろうか。また狩猟民族の神だとも思う。
狩猟民族とはドミナントしようとするものだ。他所は征服し、隷属させるためのもの。一神教の神はすべてのものに自らのみを信じることを求めるものだ。
そして他民族の宗教は異教、邪教と判断し、その民族の神は邪神、悪魔とみなす。あるいは「悪魔も神の御心の中で存在するもの」として取り込んでゆく。
そうしないと、狩猟民族は存続できないのだ。ぼんやりしていると、他の狩猟民族に滅ぼされる。
農業とは、区切る文化である。すべての世はひとつである、として感じていた人類が、農業を始めたとたんに「自分のみ、あるいは自分の身内や仲間のみの土地」という概念を主張しはじめた。
それまではのどかな一神教であった万物自然神羅万象すなわち「一としてのこの世」を、自分のみの空間を幸せにするように、そのことが確信できるような形で、取り込みたくなる。
比叡山の僧兵は、神輿を担いでその中に仏を「勧進し」、都を練り歩いたという。僧にこの中には仏がおいでになる、といわれれば、一般民は論破できるわけがない。
かように日本の神仏は「区切られて」来た。区切って、自身の縄張り=田畑や村に勧進したり、祀ったり。自身の権利を主張したり。
こんな状況では一神教が、この日本であまり流行っていないこともあたりまえすぎるだろう。サンタクロースも、聖人であるかもしれないが、八百万の中に入りうる。なので、積極的に気にせず仲間に引き込めるのだ。
私自身は、強制されて拝む、という経験が子供時代になかったせいか(父親神道で母親キリスト教)、長らく神社でお参り、ということがうまくできなかった。
だが今は家のまえに神社がある。とりあえず礼拝していると、神社のなにもない空間が、己を映すもののようにもじわじわと思えてくる。
つまりは神とは文化が母親であり、母親に似た在り方を、自然となすものなのであろう。
(東西他所の文化やなりたちを考えるときに、神、というキイワードは役にたちますね)
読書と珈琲。
私にとってコーヒーとはなにか。
まずは日々の空腹を忘れるための、「マンナンライフのこんにゃく畑」的なもの。
カフェインの効果は、多分慣れすぎていてあまり無いように思う。気づかず中毒化しているのかもしれないが、多分空腹感克服の方に比重が高くなっており、別にカフェインレスの飲み物(炭酸水や水)での代用は可能なので、中毒ではない、と勝手に思っている。
もう一つ、家で飲むときはミルク過剰で飲んでいる、40%位か。ビール用の保温金属製マグカップ(推定容量500ml)でガブガブいくので、200ml位の牛乳を一回で摂ることになる。牛乳は100ccでタンパク質3gであるので、よくわからないが6g位は摂っている計算となる。3杯飲めば18g。サラダチキンで21.7gなので結構近い量摂れることになる。
そして牛乳は液体だからか、他のタンパク質よりも身体への到達率というか、摂取度が高いというか、そういう意味で良かった気がする。
つまりは、タンパク質源、である。
一貫して、インスタント。がぶ飲みであればそれが簡便で安い。
だが、もうすこし、高級な楽しみ方はないのだろうか。
味や香りを楽しむ。飲んでいる時間を愛でる。いや、がぶ飲みでも時間は愛でてはいるのだが。
ということで、昨日名古屋今池にある読書珈琲リチルさんへお邪魔した。
なんというか、家族でコーヒーを飲む人が、いない。因みに酒もほぼない。一人の楽しみに、なっている(コーヒーを飲むと眠れない、という家族ばかりだ)。
なので、家族で喫茶店、というのもない。ここ名古屋はモーニングで有名だというが、名古屋土着ではないので、そういう刷り込みもない。
勢い、一人で行くことになる。平日だ。休日にわざわざ一人で、ということは設定が出来ないのだ。
リチルさん。とてもよかった。
酷暑の名古屋(名古屋は蒸し暑いんです)で大汗を描きつつ、スーツでお邪魔した。ちなみにスーツは意地と拘り、最近は会社で着るような無言圧力はなくなってきた。自身で選んで着るスーツは、楽しみでもある。
気にいった。本棚の本たちも、とてもいい。我が本棚にダブってある本もある。古本屋で見つけたならば、とりあえず手に取って購入を検討することに、なるような本ばかりである。
静かに、音楽が流れている。平日の午後一番、お客は私一人であった。
時間をかけて丹精した空間設定と珈琲。今池、という雑多で活気のある街(詳しくはないのだが、ちょっと新宿にいるような感じがした)。そこで心おきなく、読書を楽しめれば。これは贅沢だ。
会社や家から、近ければ毎日でも、時間が許せば通いたい。そんな空間であった。
(また、行きたいと思っています)
歴史とはなにか。司馬史観や田辺元や神秘哲学のこと。
司馬史観、なる言葉がある。
河合隼雄氏は、自分自身の生き方が一個の確固たる創作である、とおっしゃる。
歴史、というものは、自身が関わるものという感覚はあまりないのだが、大きく人生という視点で見ると自身の中の歴史というか、歴史の中の自分というか、当たり前であるが大きく関係するのである。
だがそのことに自覚的であることは難しい。少なくとも個人的には。
例えば私がユダヤ人でヒトラーのころに生きていればどうだろう。
あるいは逆にヒトラーのころのドイツ人であったなら。
最近NHKの「映像の世紀」を見ているが、やはり具体的な映像で見ると、文章では遠くの別世界の出来事のように思えた事象が、まさに今に地続きである、ということがひしひしと伝わってくる。
色褪せた、再生スピードがおかしい、奇妙なナレーションが入った映像であっても、その映像が撮影された時をいきいきと想像すれば、それがいまと同じ、あるいはもっとすがすがしい天気の元で撮影されたことも感じるし、はたまた映画ではない真の殺人・殺戮があったこともまざまざと感じるのだ。
そんな歴史の中にいる。歴史の中に私はいる、もしくはその逆。
私のなかに、歴史はある。
すべてが一である、などというのだが、全ては関係しており、縁がある。
それが遠い、というのと近い、というのは、それほど違った意味ではない。
宇宙的視野で見るのなら、100年というのはそれこそ一瞬のゆらぎのようなものだ。1億年でも、あるいは1兆年でもそうかもしれない。
司馬遼太郎の本を読むと、歴史はそうであった、という気分が横溢するが、基本的には史実をベースに司馬氏が「小説として」作り上げたものなのだろう。だが、歴史はそうであった、あるいはそうであってほしい、という気持ちはなぜ起こるのだろうか。
多分、氏が慈愛と慈悲の創造者として、小説を作っておられたからだろう。
村上春樹と川上未映子の対談(というか川上さんによるインタビュー)で、小説を書くということは徹頭徹尾一人でできることで、控えめに言って最高です、ということをお互いおっしゃっていた。
書くことには責任は伴うのだが、少なくとも作者は自らの小説世界の中では文字通り創造主である。
なにをどうしてもいいのだ。フィクションの世界は、なにをどうするしかないのだ。
(すべてはあざなえる縄、なのでしょうか。。。)