村上春樹を読む。

村上春樹の本を最近はよく読む。

やはり皆さん好き嫌いがあるだろう。私には合っているのだろうか。昔から好んで読んでいる。

だが一方で私は相当のあまのじゃく気質でもある。あまりにはやっていると、流行っているから読みたくない、という逆張りがしたくなる。

なので、ある時期からあまり読まなくなった。読みたいのだが、本が部屋に溢れている。村上春樹の本は、いろいろ持ってはいるが、そして読み返したくなるのだが、いかんせん置き場がない。

発売当初であれば、図書館での予約数は天文学的だ(さすがに言いすぎ?)。しかし予約数600とかを見ると、これは読めるのは何年先だろうか、と考えてしまう。

そんなこんなで、「海辺のカフカ」以降は、読めていなかった。

ふと気が付くと、人気があるので、各図書館毎に数冊持っている。さすがに時間がたっているし、文庫も出たので、この前は「騎士団長殺し」を借りて読んだ。大変に、面白かった。

最近読んでいるのは(読むときは並列で読んでいますので、一気に読むことは減りました。また、気になった箇所があると、立ち止まって書き写しますので、読み終わるのに時間がかかります)川上未映子氏によるインタビュー、「みみずくは黄昏に飛びたつ」だ。

「詩人が書きたいことというのは、一生のあいだに五つが六つしかない。私たちはそれを違う形でただ反復しているだけなんだ」(ボルヘスの言葉)

同書P.235

村上 小説というのは最初から最後まで一人だけでやれます。こんなに楽しいことはない。

(川上)-そう、まあ、ごく控えめに言って最高ですよね(笑)。

同書P.248

なんというのか、インタビュアーが現役の芥川賞作家であり、かつデビュー前に書店員の時村上さんの震災後チャリティの神戸での講演に2連続で行ったという村上ファンでもある素晴らしさを感じる本だ。いわゆる「豪華」という奴だろう。

前段の引用、私は今銅版画をやっているが、結局描きたいイメージはほとんど数点である、ということを感じている。手を変え、品を変え、表現を変えてはいるが、描きたいことはすごく限定的である。これは多分どの作家でもおんなじだろう、と思っている。

芸術年齢。

横尾忠則氏の「死なないつもり 80歳の熱き人生と創作」(ポプラ新書)を読んでいたら、氏が「芸術年齢」というものを提唱されていた。

芸術年齢とは、芸術作品を作るときに自らイメージしている自分の年齢のことで、実年齢とは別のものです。長い間自分の芸術人生はずっと五〇歳だと思ってきました。

同書 53%(電子書籍

横尾氏はずっと画家かと思っていたのだが、45歳で「画家に転向」されたという。その前はデザイナー、ということだろうか。転向して5年目のイメージという。

実は私も版画を始めて5年位にになる。2016年に新宿の蒲地清爾先生が主宰される銅夢版画工房の門をたたいたのだ。

そういう意味では、5年経ったころの横尾氏のイメージを想像してみることができる。もちろん本職の横尾氏と、サラリーマンをやりながらの私とは密度も覚悟も断然違うのだろうが。

だが、なんとなくだが、いろいろな展示を見たり、同じく版画をやっているプロの方と接したりすると、イメージが少しは沸いてくる。そしてグループ展を通してわが作品をご購入頂く、という稀有の体験を経ると、なんというか、すこしは作品に責任を持たねば、という気持ちも沸いてくる。

そうではあるが、自身の芸術年齢の感覚は、たぶん18歳くらいだろう。18歳で高校を卒業するとき、有志のみで作った卒業文集に絵物語的なものを掲載した。大学受験でホテルに泊まった際、備え付けのメモ帳に描きつけたイラスト、これはほとんど今のものと変わらない。

それから幾歳月、というところだが、絵を描きたいがうまくかけない、どの手法で描くべきか、というところでずっと逡巡していたのだが、版画に出会って、これかもしれない、と初めて思ったのだ。

版画といってもいろいろあるのだが、銅版画、に惹かれたのだ。わかりやすくいうと、デューラーをイメージいただくといいだろうか。あれは実は木版であるが。

銅版画(あるいは小口木版)はもちろん多色のものがあるのだが、基本は細い一本の線で構成されるものだ。そこがいい。昔から、細かい線の絵が好きだった。

デューラーの繊細で美麗で壮大な絵には及ぶべくもないが、同じく線で絵を描こうとしている点は、その思いは、すごく近くに感じるのだ。

頭に浮かぶ、幻想を、なんとか線で表したい。画力がついていかないが、なんとか肉薄したい、という気もちだけはもち続けたい。

そんな気持ちでいる。そしてそんな気持ちでいることは、とても楽しいのだ。

そういう意味ではやはり私の芸術年齢は18歳だろうか。いや、たぶん、いわゆる「中2」の気分がより正確だろう。あの痛くて、切ない、あくがれ。その残念で愛しい気分でいまも、絵を描いている。

(いやあ、14歳くらいが一番いろいろ面倒ですが、切ないですよね・・)

ヘッセと園芸。

12月になった。実はこの日記は前日に書きだしているので、いまだ11月ではあるのだが。

この時期はそれほど寒くはなく、天気に恵まれる日が多いようだ。この地東海地方というところ、とにかく夏は暑い。私が生まれ育った神戸もまあにたような感じで暑いのだが、もう少しだけ暑い気がする。東京よりは、多分1-2度高いのではないか(体感のみですが)。

今年はコロナで在宅勤務期間が続いた初夏の頃、狭い庭の草取りをした。最近は草を取るような気持ちの余裕はあまりなく、いつかやるかと思っていると夏となり大量の蚊が発生して庭には全く出ることができない。とにかく一瞬で、数匹の蚊が皮膚に取り付いている。私はAB型だが、AB型は血を吸われやすい、という記事を読んだことがある。蚊にとってやはり血液型により味の違いはあるのだろうか。

今年は蚊の発生前、梅雨前後で草むしりをしたのだが、とにかく毎日毎日新しい芽が出る。ツタ系がなぜか多かった。無心に行うこうした園芸作業、というものは、心の健康には悪いものではない。身体を適度に動かしているので、運動にもなる。腰にはあまりよくないかもしれないが。

会社員生活が長くなると、会社に行かないことで、社会に参加していない、という気持ちに自然になる。これは定年後と似た気持ちかもしれない。。これからの働き方は変わる部分もあるだろうが、考えてみるとすこし早く定年後の生活を経験したように感じている。

印象であるが、定年後は園芸、あるいは菜園、といった形で時間を使う向きも多いようだ。ヘルマン・ヘッセも園芸関係の本を出している。作家は書斎にこもりがちである印象であるが、作家と園芸は幸せな組み合わせの一つの例、なのかもしれない。

夏はまったくダメですね。やっと最近蚊がいなくなりました)

アガンペン。

なにものにも縛られず、自由に本を選びたい。その自由は、ちょっとした努力で、誰でも手に入れることができるはずだ。

自由というのは、それを手に入れた者だけにわかる絶大な楽しさを伴う。

読書で得られるのは、この自由から導かれる楽しさなのである。

読書の価値 森博嗣 P.111

最近あらためて思っている。読書は素晴らしい。

メディアが違っても、結局そのものが言っていることが、有用なのか、心に訴えるのか、啓発されるのか、新しい気づきを貰えるのか、という点だけが重要だ。

それは、もちろん、映画でもいい。マンガでもいい。SNSでもいい。テレビでもいい。

だが、GOODなものを引き当てる率がとても高いメディア、それが読書である、ということだけなのだ。

ちょっと考えてみるとわかる。

読書には、膨大なストックがある。これは量であるとともに時間のストックでもある。

SNSは同時代の人の考えていること。映像も大概はそうだ。だが、読書であれば、文字が発明される前の口伝でさえ、文字発明後は文字化されているのだ。翻訳機能がアップデートされ、電子書籍が当たり前となるであろう数年後、文字を語り書籍化した今までに世界で生きて来た、それこそ今生きている人類の総計を何倍にもしたようなものが、書籍の、本の母数となる。著者がその人生の中で、最もよいと思ったものを、心を込めて、いわば絶筆として、書籍化がなされてきた。そうした力のある書物が、そうした書物だけが、古典として時代の選別を経て、われわれの前にある。

池田晶子さんが、古典を読みなさい、とおっしゃった所以であろう。

質がいいに、決まっている。

SNSは今はやはり大きくみると創世期であろう。それをネタに金を稼ごう、という意志が色濃くいまだ染みついている。

これは別に、悪い事ではない。

当たり前なのだ。数十年前は、マンガはその存在さえ、疎ましく思う者が当時の大人の大多数を占めていた。

今はどうだ。

日本の主な輸出製品は、アニメとマンガとゲームです。クールジャパンです。

どの口が言っているのか、とあほらしくなるくらい、手のひら返し状況だ。

だが、これこそ、この手のひら返しこそ、マンガは本来コンテンツの一つであり、そこに優秀な作品が含まれている、ただそれだけのことなのだということを、示しているのだ。

冒頭で森博嗣氏の言葉を引用した。テレビも新聞もない生活を続ける氏の日常は、本を読むことだという。極度の遠視を確か成人まで把握されておらず、幼少時は遠視過ぎて本の字は一文字一文字ずつしか追えなかったせいで、本を必死で時間をかけて読めば逆に一読全てが頭に入る。

象徴的だ。どんどん文字を読んで消化することは、果たして知識となっているのか。

頭に、刻めるのだろうか。

個人的には、ほぼ無理である。すぐに、忘れてしまう。

立ち止まって、気になる箇所を書き写し、それを読み返すということをすることでしか、記憶に残らない。

つまりは、すごく時間が必要だ、ということである。

だが、そんな読書はとても楽しい、とも最近は思っている。

前は一日に何冊読んだ、などと誇っていたものだ。アホやったなあ。。。。。。

(森博嗣氏の本を読むと、その理系的視点が全く新鮮で、考えたことがない点ばかりです。本が文系によってコントロールされてきた世界であることが、客観的にわかってきました。あ、タイトルのアガンベンは、その著書を読み進めるスピードが大変遅くなる、良書の良い例です、ということを言いたかったんです。そこまでたどりつきませんでしたが)

学校について。

本日は最高20度、最低13度。電車の中で新入生らしき人々を見かけた。そういう時期なんだなあ、と思う。コロナ後、更に月日の過ぎるのを早く感じる気がする。一年前から今までの記憶が、あまり残っていないのは、やはりイベントがほぼないからだろうか。

最近は村上春樹氏の本をよく(といっても最近では2冊めであるが)読んでいる。小説ではなく、エッセイやインタビュー系である。同じく最近読んでいる森博嗣氏についても、エッセイや日記がほとんどだ。両氏とも本来?は小説家なので、小説を読まねば(誰に対して??)と思う気持ちがあるのだが、これは自分の性格からして時期が来れば(いわば”マイブーム”が来れば)自然に怒涛のように読みまくる気がするので、自然に任せているところである(村上氏の初期作品はだいたい読んでいるが)。

村上氏に親近感を感じるのは、何度も書いているが神戸で育った作家である点、そして私が第一志望にて撃沈した早稲田一文ご出身である点である。世代が違うし、行っていた学校も違うし、もっと細かいことを言えば多分氏は神戸の山の手あたり?(そういう地域呼称が神戸で当てはまっているのか不明ですが)のご出身であろうが、私はどちらかというと須磨より西の下町系の育ちではあるのだが。

だがあの神戸の独特のハイカラ(古い?)な雰囲気には、今こうして離れていてもいつも私の心のどこかで繋がっている気がする。村上流の言い方からすれば、”心のなかの抽斗”に大切にとってある思い出、というところだろうか。

氏が学生時代について書かれた文を読んで、対比して自分の学生生活を振り返りたくなった。高校時代の氏は、とにかく勉強には身が入らず、といって登校拒否になることもなく、友人やかわいい女子生徒がいることからとりあえずは毎日学校に登校されたという。あと、体育が苦手で、長らく自分は運動が苦手、と思われていたという。だが今は毎日決まった時間走り、泳ぎ、トライアスロンにも出られている(本の発行は2015年)。成績は中の上、といったところで、上位10%の50位以内には入られたことはなかった、という。

学生時代にはとにかく本を読まれたという。本こそが氏の学びの場であったと。考えるというより、暖炉に薪を放り込むように読みまくった、とのことだ。まだ翻訳されていない本を読みたくて、港町神戸で外人が持ち込んだ英語のペーパーバックを中古で買ってとにかくわからぬまま読み進めたともいう。それがいま多くの翻訳を出されるきっかけになり、米国で授業ができるだけの英語力醸成のベースとなったのであろう。

翻って、私の高校時代はどうだろうか。少し似ていて、少し違うようだ。学びに身が入らない、体育が苦手、という項は激しく類似、といっていいだろう。本も、読んでいた。だがアニメ等はほとんど見ない、とおっしゃる氏とは違い、私はごりごりとマンガを読みまくっていた。アニメを、見続けていた。ここは、世代差だろう。

ペーパーバックは、人生で1冊も読んでいない。翻訳が、潤沢にあったのだ。読みたい本を読み続けて、対象が尽きるという経験がなかったのだ。この差は、大きいだろう。

そもそも私にとっての物語は、海外のもののことだった。もっというと、ファンタジーしか、読む気がおきなかった。中学2年のころ、”これからも、できるだけファンタジー中心に読んでいこう”となぜか決心したことを思いだす。

どうしてかは、よくわからない。だが多分、ハイ・ファンタジー好きであったので、本の世界への逃避、という理由が強かったような気がしている。

こうした比較でなにか結論が出てくるわけではない。ないのだが、自分以外の人が過ごした時間と、自分の時間を並べてみることで、自分で自分の姿をすこし客観的に見ることができるような気がする。

(年上の人の姿を見ると、これから自分はどうしたいか、という視点も合わせていただけますね)

プロセスがすべて。

今朝の体重63.9kg、体脂肪率11.9%、筋量53.4kg(だったかな?)。

朝と帰宅後では当然筋量が違う。これはやはり体を動かすとタニタの体重計は例えば足の筋肉を筋肉と認識し、夜寝ていると、足の脂肪を脂肪と認識するのかな、と思っている(同じ部分)。

であればその一日で筋肉になったり脂肪になったりする部分は果たして筋肉なのか脂肪なのか??

全くわからない。

まあ、いいか。

夏にスーツで一日1万歩、でやっていると、つい汗だくで足がつることが多かった。日々痩せていき、62キロを切ったので64キロまで体重を上げた。上げたのだが上げた部分は主に下半身、というか下っ腹に沈殿する。これはあきらかにぶら下がり足上げなどをやっていると実感する。下半身が重いのだ。

まあ、痩せるときに筋肉がエネルギー化するよりはいいので、すこしは備蓄しておくことにしようか、と思っている。

62キロの時は喜んでザンギなどをばくばく食べていた。体重が減ると適正体重までは逆貯金というか、正貯金というか、適正まで食べることができる、という気持ちになる。こうした「心の余裕」のために、さまざまなことをやっている気がする。

これが、プロセスだ。

将来の姿を夢に描き(夢だが微に入り細にわたり明確化する)、それに向かっての日々の一歩(仮に小さくても)を焦らずおこなうこと、このことが、あるいは「このことだけが」幸福、というものなのだ、と思う。

上手くいくかもしれない、というわくわく。

上手くいかせるために、一歩ずつ努力している、という感覚。

少しずつ進化しているような、小さな実感。

一歩が小さければ小さいほど、「これは小さいので日々できるな、無理ではないな」という感覚が得られやすいことと、その感覚自体。

夢や目標が微に入り細にわたっていれば、その具体化の際に細かい進化項目が見つけやすく、取り組みやすいこと。

そうした気持ち自体が、プロセスの本質であり、幸せ、と同義なのである。

これは、わたくし調べ((笑))でいけば、例えば運動。一日何歩歩く、という目標。絵画制作であれば、とにかく毎日描くこと(一筆でもいい。あるいは素晴らしい過去の作品を見るなど=ダビンチやラファエロなど)。こんなことを無理なく繰り返していると、これは気分がいい。

歩数は通勤していれば、エレベーターやエスカレーターの存在は一旦忘れ、階段しかない、と思えばいい。一駅前で降りれば、数千歩はかせげるのだ。

このあたりは仕事でもいえるだろう。

勝間さんもこうおっしゃっている。

仕事も結果が幸せというよりは、その実行中のプロセスが楽しくなければ良いものができないと考えていかにプロセスを楽しくするかということも視野に入れていきましょう

勝間和代

そう、プロセスこそがすべてなのだ。結果は「あとからついてくる」などというのだが、そもそも結果は不要といってもいいくらいだ。結果というと、それで終わり、という語感がある。終わってしまってはいけないからだ。

(そのために一日に少しでも時間を割り当てる必要もありますね。通勤というものは、満員電車は悪評しかありませんが、無理やりでも歩く、という部分だけみれば、すこしはいい面もありますね)

村上春樹「風の歌を聴け」読後感。

今朝は朝食後に体重を測った。土日は運動不足、散歩不足もあり、数値が怖くて体重計に乗らなかった。こわごわと今日載ってみると66kg。そしてチート体脂肪率5%!。たまに体重計の調子がおかしくなって、”良い((笑))”体脂肪率が出る。だいたい2回測ると正確(12%くらい??)の率が出る。

今日は夢を見させてもらおう、ということで、1回で計測を終了した。

朝食で多分(コーヒーがぶ飲みがあるので)1kg位はアップすると推測しているので、65kgくらいか。まあそれほど太らなかった、といえるかもしれない。WEEK DAYは昼食抜きだが、金土日はチート・デイズということで、グルテンありの袋めんなどを食べる。間食は少なめ(そして無塩ナッツと82%チョコ)としたので、それほど上がらなかったのかも。

村上春樹 風の歌を聴け を読了した。

前にいつ読んだのかは全く記憶がない。のだが確かに読んでいる。前回は特に事前情報なく読み進めたわけだが、今回は本作に対する村上さん自身の思いを読んでから再読したことになる。

全く初めての作品であり、若書きであるゆえに今の村上さんにとっては恥ずかしく思われる面もあるのかもしれないが、大変に楽しく読んだ。前の時はこれがわが郷里神戸の物語であることはわからなかった。なぜならば言葉が違うからである。

別に文中で街を特定する部分はなかったように思う。そして物語がどこの言葉で語られるのか、で纏う空気が変わってくる。本作は共通語により書かれたことで、よりいろいろな人々に伝わりやすくなっていると思う。

29歳の村上さんは、神戸を18歳で離れてから10年以上経っている。東京暮らしが10年以上、ということだ。脳内での独り言が、神戸の言葉になるのか、共通語となるのか、人によってそれぞれだろう。私の場合は神戸を離れて随分経つが、会社では共通語、家では神戸弁、なので独り言のイントネーションの変化は特にはないようだ。

読み終わって、WIKIPEDIAを開いた。1979年の古い作品なので、いろいろな追加情報がある。何点か面白いと思ったことがあった。

本作は、芥川賞にノミネートされている。1981年に映画化されている。

そして文中で重要な役割を果たしている米国の作家、デレク・ハートフィールドが架空の人物であった、ということも興味深かった。

作家の森博嗣氏は、小説とは作者がなんでも自由にしていい場である、とおっしゃっている。読み進んで、どうも実際にそういう作家がいるようだ、と思わされたこの手法、

そして単行本のみに収録されている”あとがき”に”僕”がハートフィールドの墓地に行ったことが書かれていること、そしてハートフィールドが架空の作家であるのであれば、このあとがきさえも”架空の”ものであること、

そのことに重層的な感銘を受けたのだ。

私と同じように、この作家が実在であると読んで、図書館に本の探求を依頼する人があとを絶たず、困惑した、という図書館員のコメントも大変面白い。

小説とは、その中に世界を創ることである。その世界は、100%作者が自由にすることができる。作者はそこでは文字通り、”創造主”である。

人に読んでもらうということから、例えば正しい事実にのみ依拠する、という小説がある。一方で、この作品のように、主人公が文中で引用する小説家が重層的に創作されており、そのことが物語の独立度を上げている、というような小説もまた存在する。その純粋な”創作物である”という感覚が、深い余韻を残す。

WIKIPEDIAに掲載されている、芥川賞における大江健三郎の選評を引用する。

「今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向付けにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた」

これはだいぶん貶している。無益な試み、とまで言い切っている。この作風に、だいぶん激しく拒否感を示している、ということだろう。

当時から多分文壇の大御所で会ったであろう大江健三郎(村上氏はこの”文壇いうのがとにかく嫌で、その後アメリカで執筆されたようだ)がここまで拒否感を示しているのが興味深い。その後の村上氏の世界への広がりを見れば、大江氏の見る目がなかった、というよりは、それだけ大きな拒否感を感じさせるほどに作品に力があった、という風に見るべきかもしれない。

多分、ものすごく、新しかったのだ。

今読み返して、古い、という感じは皆無である。仮に、時代に合わせた、POPで一瞬の小説であれば、このような読後感はないだろう。だがどうやら大江氏にとっては、時代に残ってゆく小説とは感じられなかったようだ。

マンガを読まない、とおっしゃる村上氏だが、ガロでの佐々木マキ(こちらも神戸出身)が大好きで、著作に佐々木氏が絵を提供したことを大変喜ばれていることも、興味深かった。

(私も佐々木マキ氏は大好きですが、どちらかというと絵本作家で知っています。このあたりも世代差、ですね)